Blue Bird の旅

北ドイツでの生活

言葉の贈り物…「過ごす」

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今まで出会った人にもらった、

大切な言葉を書いてみようと思います。

 

仲のいい先輩が言っていた言葉。

10年前に父が亡くなった時、

どういうシチュエーションで話したのかは

覚えていませんが。

酔ってヘベレケで泣き言を言ったのか、

メールでも送ったのか、覚えていませんが。

私は悲しみをストレートには

表現しなかったと思いますが、

何か溢れていたんでしょう。

そうしたら先輩は

 

そういう時は

人生を「過ごす」んだよ、と。

 

にっちもさっちも行かない、

ジタバタしたって悲しみが

消えるわけじゃない。

人生を終わらせるわけにも行かない。

 

だから毎日毎日、過ごしていくんだよ。

と言ってくれました。

その時の私にはその言葉がぴったりと

あっていた気がしました。

 

人生を生きる…

その時の私には、

生きるという言葉の強さには

届かない程の無力感がありました。

 

悲しみが癒えるのを待つ…

待つっていうのは、ひとところにとどまって、

いつだろう、いつだろうって待つこと。

待っていたらきっと悲しみは強くなって、

やっぱり悲しみなんて癒えないじゃないかと

しまいには怒り出しそう。

 

だから「過ごす」。

 

「やり過ごす」というほど投げやりではなく、

「生きる」というほど前向きではなく。

「待つ」というほどプレッシャーがなく。

 

その先輩も親しい友人を亡くした経験があり、

だから、その時の気持ちがわかるんでしょう。

 

「過ごす」…

今日は何を食べようか、

お天気はどうかな、

洗剤が足りないから買いに行こうか、

とりあえず出掛けようか。

そんなようなこと。

 

目の前に問題はあるのに、

何もできない、悔しい、

悲しみで胸が痛い。

でも諦めたくない。

 

そういうときは、過ごしてみる。

毎日毎日過ごしてみるのです。