Blue Bird の旅

北ドイツでの生活

白アスパラガスと小岩のおばあちゃん

ドイツに来てから、ドイツでは白アスパラガスが人気だと知って、白アスパラガスを見る機会が増えて、これまでに2回、食べました。

白アスパラガスをみると、なんか不思議な感情が湧き上がってくるな〜何でだろうなと思っていたんだけど、謎が解けました。おばあちゃんの思い出です。

 

私が子供の頃、お正月には毎年小岩のおばあちゃんの家に行って、お正月のお祝いをしました。

おばあちゃんの家に行くと始まるのがおばあちゃんのお喋り。四角い炬燵を囲んで、色々な食べ物を食べながら、昼から夜まで喋り通し。だんだん時間が経ってくるとそこはおばあちゃんのオンステージ。高齢なのもあって、決まったいくつかのお気に入りのエピソードを繰り返し繰り返し話します。

戦争のこと、関東大震災のこと、父の子供の頃の話、姉の子供の頃の話。おばあちゃんは身振りや手振りを入れて、テンポ良く話すので、まるで落語のようで、話を聞いていると目の前にイメージが映像で見えてくるような、そういう話し方でした。

そのおばあちゃんのお気に入りエピソードの中のひとつに、「いずみと白アスパラガスの話」と言うのがあって、何回も何回も聴きました。

それはこうです。私が赤ちゃんの頃、おばあちゃんが瓶詰めの白アスパラガスを1本取り出して、私に差し出した。それを握って、かじりついた私は、その食感や味が嫌だったのか、アスパラを「ん、ん」と言って返して来た、という話。

もちろん、私の記憶にはないんだけど、おばあちゃんの面白い身振り手振りと声色で話すので、それを追体験しているような気持ちになり、その時の白アスパラガスの味までしてくるような。それを子供の頃から何回も何回も聞いていたので、なんとなく「私は白アスパラガスが嫌いなんだ」と思っていて、食べる機会があっても積極的に食べなかった気がします。もちろん、日本では食べる機会自体が少なかったのですが。

 

それから、数年前にドイツに来て、白アスパラガスが人気だと知ったのですが、「なんで、白アスパラガスがそんなに好きなんだろう?」と少し冷めたような気持ちでいました。多分潜在意識の中で、「白アスパラガスは美味しくない」と思っていたんだと思います。もちろん最近になるまで、そのおばあちゃんの白アスパラガスの話を思い出すことはなかったのですが、白アスパラガスを目にする機会が増えて、その話をなんとなく思い出すようになりました。

 

そしてこの間、初めて日本のドイツレストランで食べた、ドイツの白アスパラガス。身がしっかりとしていて、香りも強く、とっても美味しかった!なので、白アスパラガス、美味しいじゃん!と。自分の中にあった無意識の抵抗感が取れた気がしました。

なので、昨日、スーパーで売っている白アスパラガスを買ってもらって、自宅で茹でて食べたのですが、やっぱりアスパラガスにも色々ランクがあるらしく、レストランで食べた味を想像していた私は、柔らかくムニュッとした食感に、また、あのおばあちゃんの「いずみと白アスパラガスの話」を思い出してしまいました。ムニュっとしてて、繊維が多くて食べにくくて、味も薄い。これは“あの”アスパラガスだ!と。

そうしてまた、おばあちゃんの記憶が呼び起こされたのです。おばあちゃんが、私のことについて話すのは、そのエピソードだけだった気がするので(他にも、左利きエピソードとかあったかな)、恥ずかしいような嬉しいような気持ちになって。

子供の頃、私は家族の中で1番小さかったので(末っ子)、炬燵を囲んで話している大人達の話をなんとなく聞きつつ、おばあちゃんがとっておいてくれたカレンダーの裏のペーパークラフトを黙々と完成させるのが私のやることでした。うまく作るとおばあちゃんが喜んで、ガラスの飾り棚に飾っておいてくれたので、それも嬉しくて。得意になって作っていました。良く考えたらそれが私の創作好きの原点だったのかなと思います。

 

今回、日本に帰って、レストランで白アスパラガスを食べた少しあと、その思い出のおばあちゃんの家が更地になったと叔父から聞きました。それで、寂しいような、あったかいような気持ちになり。

そして昨日、ムニュっとした白アスパラガスを食べた時に、おばあちゃんと家族とあのお家で過ごしたお正月と、白アスパラガスと紙工作と…。沢山の楽しかった思い出が蘇って来て、嬉しくなりました。

おばあちゃんは、いつもニコニコしていて、それだけでこちらが元気をもらうような人でした。だから、私は笑顔で居ると人を元気にできると思ったので、辛い時もなるべく笑顔でいようと思うようになり、そして私自身がそれに救われて来た事が沢山ありました。おばあちゃん、ありがとう。またお話、聞かせてね。