Blue Bird の旅

北ドイツでの生活

旅路2 2015年-2016年 再会

また少し続きを書いてみます。

前回の旅路1で、私とドイツと旦那さんとの出会いについて書きました。

2006年に始めて出会い、2007年にドイツにビッグバンドの演奏旅行でドイツに行ったことが私の人生の中では大きな出来事になりました。

しかしそこから、彼との定期的な交流が続くことはなく、何度かメールのやりとりをした程度で、ドイツ演奏旅行は素晴らしい思い出だったけれど、だんだんと脳内からフェードアウトしつつありました。

もうほとんど脳内から記憶が消えかかった9年後の2015年に、旦那さん(になる人)から突然、1通のメールが届きました。「2016年に秋日本でコンサートツアー(ドイツの学生の)をやりたい」

私には寝耳に水でした。彼は、私にコンサートツアーのコーディネートの一部を手伝って欲しいと言うのでした。そして私の脳内で豆粒大になっていた学生時代の記憶を掘り起こし、ああ、そういえばあの時大変お世話になった、そうだ、そうだと。

私は2007年から就職し、一人暮らしを始めて、勤めた会社でなんだかんだとやりながら、もうほとんど10年経とうとしていた頃でした。学生時代の素晴らしい経験はその後の人生で大いに意味のあることだったけど、日々の中で思い出す機会はわずかしかなかった。その10年前の記憶の中に存在していた人が、また現在の人として戻ってくるとは。

大学を卒業してからも、OB OGのつながりで、社会人ビッグバンドにも参加していたので、その仲間やつながりはあったけれど、なんの肩書きもない、ただの一般人が、ドイツと日本の国際交流イベントをコーディネートする…うーん。仕事忙しいし、できるのかな…?ともんもんとしましたが、大きな恩もあるし、ノーとは言えない状況だったので、ひとまず話を受けることにしました。

旦那さん(になる人)とやりとりしているだけでは、私の当時の語学力の問題もあって、話の全体像が見えてこなかったので、ゲーテインスティテュート(ドイツ文化センター)に出向き、話をしたりして、ドイツのギムナジウム主体のプロジェクトで、ドイツ文化センターと私の母校の大学と、社会人ビッグバンドとの文化交流を主旨としたコンサートツアーだということが見えてきました。私にしてみたらこれまた壮大。

そのあと、 OGとして、大学のビッグバンドサークルの後輩に連絡をしたり、教授に連絡をしてみたり、社会人バンドのリーダーに連絡してみたり、マネージング業務を進めていくことになったのです。

しかし、なんで突然、10年も音沙汰がなかったけれど、なぜ彼はまたコンサートツアーを企画し始めたのかな?という疑問が心の中にありました。

 

彼が交換留学やコンサートの準備で何度か来日していた時にカタコトの英語で、意思疎通しました。その時の私は、外国人とコミュニケーションを取るために、一生懸命中学英語文法を脳の引き出しからひっぱり出しているところでした。話をしていても、わかったような、わからないような…

でもだんだん、話していくうちに、交流の無かったお互い10年の間に本当に色々なことがあったんだとわかりました。お互いに経験した、大切な人の死。そこから、少しずつ区切りがついて、何かが新しく動き出そうとしている、そんな時。

 

彼の状況に何か共感する部分があった私は、日本のコンサートツアーが成功することによって、少しでも元気付けられたらという気持ちになりました。それに遠い昔に受けた恩の気持ちもあったし、なんとか力になりたいと思うようになりました。そしてもちろん、音楽によって人と人が出会うことの素晴らしさをもう一度感じたかった。

 

はじめは半信半疑だった私も、結果的には積極的に準備するようになりました。そして2016年の9月に、コンサートツアーは無事に開催され、交流演奏を快く受けてくれた社会人ビッグバンドの皆さんの全面協力のもと、私が受け持った社会人バンドとの対バンイベント(対バンとは、2つのバンドが同じライブハウスでそれぞれ演奏し、共演もすること)も無事に成功にこぎつけたのです。

そのコンサートを経て、私も少し忘れかけていた学生時代の記憶を思い出し、マネージャー、バンマスとして苦労した思い出とか、仲間とワイワイやってた楽しかったこととか、再び感じることができて、始めは手伝いのつもりで、次は元気づけたい気持ちだったけど、終わってみると、こんな素晴らしい経験ができて、私自身が大きなエネルギーを貰ったことに気づいて、言い表せない感謝の気持ちでいっぱいになっていました。

そうして私たちの10年ぶりの再会は果たされたのでした。