Blue Bird の旅

北ドイツでの生活

結婚2周年!国際結婚に、思うこと。

今日は2回目の結婚記念日です。ですが2人は一緒に居られず、別々に過ごしています。特にすることがないので、アニバーサリーデイということで、出会ってからカップルになるまでをお恥ずかしい話も含めてアップしました。

出会ってからカップルになるまで…色々な偶然が重なり、一つでも何か違えば今結婚には至っていないのかもしれないなと思うと、人生不思議です。しかし国際結婚に限らず、出会いというのは本当に色んな偶然と奇跡が重なって生まれるものだと思います。

カップルになってから結婚するまではまた、違う困難と幸運が併存するのですが、これについては、カップル編をまとめ・放出し終えた私は卵を産んだばかりの鳥(わかる人少なそう)のような状態なので、もう少し気持ちが落ち着いたらさらに書き進めてみようと思います。

 

そして今私たちはなぜ離れ離れなのか…色々ドイツでの生活を書き留めようと再開したブログですが最近はずっと日本にいて日本の日常投稿になっています。旦那さんはドイツに、私は日本にいます。

前にも少しだけ書きましたが母がうつ病で、自宅療養をしています。今年の3月から日本に帰ってきて、少しずつ回復してきていますが、まだ食事の準備や買い物など、サポートが必要な状況だからです。そしてそういう状況だとなかなか自由に出かけることもできず、まあ勉強してみたり、ちょっとお仕事をいただいたり、本を読んだり、ブログを書いてみたりという時間が増えています。

母の病気が判明したときは、作年末から年明けで、私はその時ドイツにいて、コロナの隔離が一番厳しいころでした。日本への入国者は、度重なる検査はもちろんのこと、ホテルでの6日間隔離、その後自宅にて2週間の隔離。ホテルでの待機期間は差し引かれるのだったかな。いずれにしてもかなり身体的にも心理的にも厳しい。隔離の間は外出は一歩も不可。政府から提供された弁当を3食食べて時間を過ごす…。6日間一歩も部屋から出ない軟禁状態で、自分がコロナになるかもしれないという恐怖と戦い、そしてコロナになったら、どこに連れていかれるのかもわからない…。これは気がおかしくなってしまうかもしれないなと思いました。

母の調子が悪くなっていっているのはわかりましたが、あまりにも厳しい条件なので躊躇していました。つまり、この条件の意味するところは「よっぽどのことがなければ帰ってくるな」ということなのでした。海外に出たばかりの日本人が、自国に入国を拒否されたようなこの心細さ、無理に帰ってコロナを持ち帰れば「なんで帰ってきたんだ」と非難される辛さは、外側にいる人にしかわからないのかもしれないな、と考えたりもしました。いや、何年も帰らなくっても全然平気っていう人もたくさんいるだろうけど、私は海外生活2年目だったので。

そもそも、結婚まで編でまとめようと思っていましたが、私が結婚のためにドイツに移住したのが2020年の8月。コロナが佳境で本当に先行き見えない中での移住。それから何回かなんとか帰国をすることができましたが、検査・隔離の厳しさに辟易するほどでした。そして、ここに来ての入国時ホテル隔離6日間。もう頑張る気力が0値に到達する瞬間でした。

普通の状況なら、離れているといっても飛行機とって、一日座っていれば日本につくので(もちろん飛行機のお値段については色々ありますが)、あとは便利な世の中でメール・電話・なんでも、コミュニケーションをとろうと思えばいつでもとれるのでそこまでドイツに移住することで日本の家族との距離を感じていませんでした。しかしコロナになって、移動が難しくなってから、いやこれは、私だけではなく、全世界の人がそれぞれの形で嫌というほど経験した、「会えないつらさ」それが、私の走り始めたばかりの国際結婚を難しいものにしました。コロナが始まる前は、家族や友達も、ドイツに遊びに来てくれるだろうし、私も帰れるしと、楽しい往復生活も想像していましたが、そういう描いていた楽しさは急に灰色になってしまったのです。

 

私が結婚を決めてドイツに移住することになった時、やはり一番初めに考えたのは、日本の家族に何かあったら、どう対応するべきなのか?ということ。海外で何年も暮らしている人たちは、親や家族に何かあってもすぐに帰れないという経験をしてきて、ある程度覚悟が決まっているのだと思います。ただ私にはそこまでの覚悟もない。

そして本当にすぐに訪れてしまった、私が恐れていたこと…「もしも家族が病気になったら。」しかし、今回は私も移住まもなく、仕事も見つかっておらず、子供もいないので、隔離の条件が緩くなったらすぐに飛んでこれたので、良かったのですが、まあこれで仕事があったり子供がいたりしたら、どの程度、できるのかな?と考えたりします。

そして、こんな風に家族が病気になり、帰ってくることになって、考えてしまいます、「やっぱり国際結婚なんて大変なこと、自分には無理だったんだ…」と。そもそも海外で暮らしたこともないのに、言葉もできないのに、考えなしに移住して、だからその反動が来たんだわ、と考えたりしました。

時々ドイツがもともと好きで住んでいてとか留学して、結果ドイツの方と出会って結婚とか、ドイツで仕事をして暮らしているという方もいますが、私は、移住とか、そういうことを考えていたわけではなく、本当に偶然が重なって旦那さんと出会ってしまった。その人がドイツに住んでいた、と逆の形だったので、それ自体が考えが甘かったのかな…としばらく後悔の日々。

さらに、移住して終わりではなく、新しい環境になじみ何か始めて行くにも時間と労力を必要とします。少しずつ少しずつ、積み上げていかなければならない。ドイツ語、車の運転の練習、食事に慣れる、家の環境改善などなど、スタートダッシュをしているところに母の病気で緊急帰国。それで一切のドイツでのことがストップしてしまい、それについても焦りを感じて、ここから戻ってまた色々再開するのも大変だなあ~。もうすべて投げ出して日本に帰ってきたい。だって快適だもの。私の家族にいつだって会えるもの。と弱気になる始末。

 

しかし、やっぱり何度考えても、私が旦那さんに出会ったことはかけがえのない出来事。彼のような人は世界中のどこを探しても他に居ないと思うし、素敵な人に出会えて本当に嬉しい。なので、私がどんなにドイツでの生活で弱気になっても、旦那さんと人生を共にしていくと決めた決断は、間違いではないと思いなおすのです。

でも旦那さんにも何度も言っています。「あなたと一緒にいるために相当の努力をしています!」と。恩着せがましい…笑 でもこれは、自分が望む結果を得るためにしなければならなかったこと…いや、日本の家族と離れ離れになんてなりたくなかった。でも彼と生きていくには現状そうするしかない、とか。日本で頑張っていた仕事も本当は辞めたくなかった、とか日本でこういう仕事をしたかったとか。色々色々。でもやっぱりこの決断は何のためかと考えると、彼と生きていくため、というところに戻るのです。

つまり、すごく試され強くなっているというか、あなたはこんなに試練があっても、この道を選ぶのですか?

今のところ、イエス。今のところ 笑

そして自分の決断に対して責任を持たないといけないと思います。こうするって、決めたのだから、周りの人に理解してもらったり、助けてもらったり。自分で自分の人生を決めるというのはそういうことなんだと思ったりします。

そして、国際結婚をしたカップルの離婚率も高いと聞きます。うん、それはわかる。本当に相手が好きではなかったら、頑張れないことも多いと思う。いや、好きというか、信頼関係というのか、単純ではないんだと思いますが、それは日本人同士の結婚でも同じことかもしれないのですが。

 

しかし、今回母の件で帰ってきて、色々な対応ができたことによって、それなりの自信もつきました。医療機関とのコミュニケーション、地域のネットワークなど、知ることができて、家族にとっていい形を見つけていけるといいなと考えています。

それから、住む場所については、ドイツ一択ではなく、旦那さんも日本が大好きなので日本に住むという選択も将来あっていいかなと、思います。旦那さんが日本を好きで日本語も頑張っているので、私たちはそういう選択肢を持てるのがいいなと思います。

 

さて、色々ぐらぐらした半年でしたが、結婚2周年のこの日に、新たな気持ちでまた自分の人生を彼と歩いていこうと思ったのでした。